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東京地方裁判所 平成10年(ワ)7号 判決 1998年7月31日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

加藤久勝

被告

乙山春男

右訴訟代理人弁護士

白谷大吉

主文

一  被告は、原告に対し、金一一〇万円及びこれに対する平成一〇年一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを八分し、その七を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告に対し、金九四七万円及びこれに対する平成一〇年一月一五日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  仮執行宣言。

第二  事案の概要

一  本件は、被告が原告の妻と男女関係をもった後同棲して原告夫婦の関係を破綻させた旨主張する原告が、被告に対し、不法行為に基づき、慰謝料八〇〇万円及び弁護士費用一四七万円並びにこれらに対する訴状送達の日の翌日からの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。

二  被告が原告の妻と男女関係をもち、その後同棲し、現在に至っているという外形的事実については当事者間に争いがない。

被告は、原告夫婦の関係は被告が原告と知り合う前から実質的に破綻しており、被告が原告の妻と同棲するに至ったことについては原告に責任があり、本件は原告が精神的苦痛を受け、そのための慰謝料を請求し得るような事案ではない旨主張している。原告はこれを争っており、主たる争点はこの点と本件における相当慰謝料額が幾らかである。

第三  争点に対する判断

一  証拠(甲一、二、三の1、2、四ないし七、八の1ないし3、九の1、2、一〇ないし一四、一五の1ないし7、乙一ないし三、証人甲野花子、原告本人、被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告(昭和二二年三月三〇日生)と花子(昭和三八年四月二日生・旧姓丙野)は、昭和六〇年一〇月六日挙式し同月七日婚姻の届出をした夫婦であり、その間の長男一郎が昭和六一年七月二七日に出生した。

原告は、現在原告の兄が社長をしているN産業株式会社の取締役営業本部長をしており、花子が昭和六〇年一月に右会社に入社したことにより上司と部下の関係で知り合い、結婚することになったものである。

右婚姻当初は都内板橋区成増の賃貸マンションに居住したが、昭和六二年二月に埼玉県川口市にマンションを約三〇〇〇万円で購入して転居し、平成三年六月に右マンションを約五五〇〇万円で売却し、マンション購入のローンを返済した残りから約一九〇〇万円を出捐して原告の肩書住所地にあった花子の父(丙野五郎)所有の古い建物(元貸家)を改築し(実際には建替えに近いものであったが、借地その他の都合上改築として取り扱うことにしたようである。)、以来右建物(以下「原告居宅」という。)で花子と一郎と三人で暮らすようになった。なお、花子の父は約五三坪の借地上にその居宅と原告居宅との二棟の建物を所有し、平成三年一二月に病気で死亡したが、右借地権及び建物は花子の母(丙野夏子)が相続し、原告居宅と同じ借地上にある建物には花子の母と花子の妹夫婦が暮らしている。

2  原告の仕事は右婚姻当初から多忙で、原告の帰宅は遅く、平均して夜の一〇時ないし一一時位であった。朝食は家族三人でとり、休日には家族で外食し、お盆や正月には家族旅行をするなどしていたが、原告夫婦の会話は婚姻当初から少なく、また、一郎の妊娠が分かって以来全く夫婦関係がなく、原告の帰宅が遅いこともあって、花子は平成二年頃既に毎日寂しく孤独な思いで生活をしており、原告夫婦が右一のとおり実家の隣に居住するようになったのも、花子の強い希望によるものであった。

なお、花子は、一郎の妊娠中に妊娠性糖尿病になり、昭和六二年には入院治療もし、原告夫婦に夫婦関係がないのは、原告が花子の右糖尿病による身体を気遣っているためでもある。

花子は、原告から家計を全面的に任されていたが、平成二年頃から、右のような病気と孤独感によるストレスの解消のため、女性友達とスナックに通うようになり、原告は花子の気持が紛れるならばそれでよいと考え、花子の好きなようにさせていた。なお、花子は酒はあまり好きでないので、スナックでウーロン茶を飲むなどしていたが、カラオケで歌うことがストレス解消となった。

3  一方、被告(昭和二三年一二月一〇日生)は、都内新宿区に本社のある工新建設株式会社の営業課長をしているが、昭和四七年に婚姻した妻冬子との夫婦関係が長らく円満でなく、家庭が面白くなかったので、平成三年一二月頃、頻繁に都内豊島区西巣鴨にあるスナック「ピース」に飲みに通い、右スナックに客として来ていた花子と知り合った。被告は、花子が女性同士で夜遅くまでスナックで飲み、カラオケで歌うなどしていたため、当初花子が婚姻していることを知らなかったが、そのうち右スナックの常連同士でよく話をするようになり、花子が婚姻していることを知り、更に花子と話し合うなどしている間に、被告の家庭と同様の不和のため遊び歩いているものと考え、花子に同情した。花子はそのような被告と一緒にいることが楽しく、次第に被告に強く惹かれるようになった。

平成七年一二月に至り、花子の被告に対する右のような積極的な気持から、被告と花子は二人だけで交際するようになり、その月末に、被告の酒の勢いもあって初めて男女関係をもった。

その後、平成九年七月までの間、被告と花子は数回の男女関係をもち、その間の平成八年一一月五日、被告は、妻冬子と協議離婚をした。被告の母は、被告と同居しているが、病弱であった。平成九年一月頃、被告から右母のため家政婦を頼もうとしていることを聞いた花子は、もったいないからと言って、被告の家に週一回位の割合で通っての家事手伝いをするようになったが、被告からやめたほうがよいと言われて約二か月間でやめた。

同年四月二〇日頃、花子は糖尿病のため救急車で入院した。その前日、花子は被告に対し体調が悪いので病院に連れていってほしいと電話で頼んだが、被告は花子の右病気について知らなかったので、風邪くらいなら自分で行くようにと言って、右頼みに応じなかった。花子は、入院中も、被告と一郎のことばかり考えており、同年五月に退院した際も、直ちに被告に電話をし、退院したばかりだからと言って制止する被告に、三〇分でもよいからと言って被告に会ってもらった。

4  同年七月頃から、花子は再び被告方を頻繁に訪ねるようになり、同月下旬頃、原告は花子の母から被告と花子との右のような交際を聞いた。その頃、花子は原告に対し離婚を求めた。

そこで、原告は、花子に対し、被告との話合いを求めていることを被告に伝言するよう求め、右伝言によって、同年八月三日、西巣鴨にあるカラオケボックス「ララハウス」で、原告、被告、花子、その母、花子の妹の夫の五人で話合いをした。被告は右カラオケボックスの場所を知らなかったので、花子に案内してもらって先着し、その数分後に他の三名が来たのであるが、原告は、花子を見るなり「奥様お久し振り」などと言った後(原告は、一種の「テレ」からそのような発言をした旨述べており、理解できないわけではないが、そのような「テレ」表現をしなければならないということ自体が些か普通でない夫婦関係であったことを推測させるものというべきである。)、当日原稿用紙に自書した書面ないし書簡(乙一)を居合わせた者に配布した。右書面には、原告が花子と離婚できない理由がるる書いてあるが、その末尾には「(弁護士を通じての不法行為による損害賠償慰謝料請求の準備に入っている)さらにもう一つ妻の方へも金銭的トラブルで刑事上の訴訟請求の準備に入っている所です。以上回答、御返事よろしくお願い申し上げます。」と記載されており、原告は右話合いの席上で右書面を読み上げた上、被告に対して回答を求めた。被告は、当日の話合いがそのような展開になるとは予期していなかったので、原告の右ような態度と右書面の内容に驚き、後日返事をする旨回答したにとどまった。

同日、原告居宅に帰った花子が原告と喧嘩をし、夜一一時頃被告方に行くと言って家を出て、被告方を訪ねたが、被告は、当日原告と話し合ったばかりであり、結論も出ていないからと言って、花子を帰宅させた。被告には、何故原告が花子が被告方に来ることを制止しなかったのかが不思議であった。

5  同月六日、原告と被告は、花子を介して二回目の話合いをすることとなり、初回と同じカラオケボックス「ララハウス」で待ち合わせをしたが、同店において原告が、花子が後から来るといけないので場所を変えようと言うので、原告と被告は近くのカラオケボックス「ターキー」に移動して話し合った。その際、原告は、被告に対し、「付合いを続けるのなら裁判の用意がある。今すぐ別れて、今後一切会わないという誓約書と、今までのことをお詫びしますという詫び状を書けば裁判はしない。要求を呑まなければ、何回でも裁判をして慰謝料を請求する。」などと述べ、被告は、原告に対し、道義的に責任のあることは認めたものの、「裁判までして花子さんに会わせたくないというなら、(八月)三日に花子さんが私の所に来るのをなぜ止めなかったのですか。こちらも迷惑です。」と述べ、売り言葉に買い言葉で、「裁判をおやりになるのでしたらどうぞ。」などと言い、結局、花子と別れることを約束して謝罪することについて拒否した。

6  同月七日の夜、原告と花子は、預金通帳、印鑑、花子が記載した金銭関係のメモのことなどを巡って言争いをし、花子は家を飛び出して被告方に行った。被告は、前日の原告との間の話合いのこともあって、花子に対し、帰宅するよう強く言ったが、花子がどうしても帰らないと言うので、結局花子を泊めることとした。

以来、花子は、原告居宅に全く帰ろうとせず、被告と同棲している。被告には前の妻との間の長女長男があるが、花子は右の被告の子供らと被告の母と仲良くしており、現在では、被告も花子も夫婦同然に暮らしている。花子は、一郎のことについては気にしているが、実際上は何もしておらず、現在では原告と同居して暮らす意思が全くない。

二  右認定事実を基礎とし、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によって判断する。

1  夫婦の生活内容は各夫婦毎に様々であり、各夫婦が満足している限り第三者が論評する限りでないというべきである。

したがって、夫婦間に性関係が一〇年以上にわたり全くないからといって、直ちに夫婦関係が破綻しているものとはいえないことはいうまでもなく、平成七年当時、前記のとおり原告夫婦間に長らく性関係がなかったことをもって直ちにその仲が破綻していたとすることはできない。しかし、花子が糖尿病であることを考慮しても、一郎を懐妊していることが分かったのが花子が二二歳の時であって、以来一〇年間以上にわたり原告が花子に対して全く性関係を求めなかったというのは、少なくとも普通であるとはいえないというべきであろう。そして、花子においては、前記認定のとおり、原告との婚姻生活に長らく不満を抱き、深夜までカラオケで歌うなどしていわば家庭から逃避するような生活を続けていたものであり、原告は花子がそのような生活を続けていることを知りながら、自らの仕事を重視していわばこれを放置していたものであり、夫婦相互に相手方に対する関心が著しく希薄であったものというほかない。

2  そして、平成七年一二月当時、花子は既に長い交際によって自ら被告に強く惹かれており、結局、被告も花子に惹かれて男女関係をもつに至ったものであるが、前記認定事実からすれば、被告において他人の妻を格別の手段を弄して誘惑したというものでも、それによって原告夫婦の仲やその家庭を格別に崩壊させることを認識予測してしたというものでもないというべきであり、その後、平成九年八月に同棲するまでの間の交際もほぼ同様のものというべきである。すなわち、前記認定からすれば、外形的には、原告夫婦の仲は破綻していなかったとしても、花子の内心においては、一郎がおり、一郎のことは大いに気にしているものの、原告に対しては強い不満を有していたものとうかがわれ(原告において、花子が糖尿病であることを気遣って性関係をもとうとしなかったことは、ある意味では立派というべきであるかもしれないが、花子が糖尿病であることによって性関係をもつことができないわけではないことは、被告との間の交際によって明らかであり、少なくとも花子の側から見る限り、原告の右のような態度に花子が不満をもったとしてもやむを得ないところというべきであろう。なお、原告において、性関係が夫婦生活上格別の意味がないものと考えていたというのであれば、それ自体は何ら責められないものであるとしても、妻である花子がその自由な意思によって他に性関係をもつことについて、その相手方を強く責める資格はないというべきであろう。)、花子がそのような気持でいたときに、被告に出会い、被告に強く惹かれて、自らの積極的な意思によって被告と男女関係をもったものと認められる。

そして、その後の経緯は前記のとおりであって、原告が花子と被告との関係を知った時点においては、花子は既に原告と別れることを望んでおり、被告においてそのように仕向けたわけではないが、結局、花子が被告方において生活することを求め続けたことから、ついにこれを受け入るに至ったものである。

しかも、平成九年八月三日の前記話合いの際の原告の態度は、それが前記「テレ」によるものとしても花子に対する愛情をさほど感得させないものであり、その際原告が持参した書面ないし書簡(乙一)の内容は、原告が花子と離婚できない理由がるる書いてあるものの、その末尾には「(弁護士を通じての不法行為による損害賠償慰謝料請求の準備に入っている)さらにもう一つ妻の方へも金銭的トラブルで刑事上の訴訟請求の準備に入っている所です。以上回答、御返事よろしくお願い申し上げます。」と記載されており、およそ妻に対する愛情を感得させるような内容ではないというべきである。

3 そうであれば、花子の前記のような気持を受け入れてしまったにすぎないというべき被告が、原告に対し、花子が原告の妻であるという理由のみで不法行為責任を負わなければならないということについては、全く疑問がないわけではない。

しかし、花子の夫である原告からすれば、たとえ右不貞が花子の自由な意思によるもので、その主たる責任が花子にあるとしても、被告はそのような花子の不貞の相手方となり、いまだ小学生の一郎を原告に残したまま、ついには花子と夫婦同然の暮らしをするようになり、その結果、原告の家庭の平和を完全に崩壊させたにほかならないものというべきであるから、被告が何ら不法行為責任を負わないということは正義に反するというべきである。

4  以上及び本件の一切の事情を総合勘案すると、被告が花子の不貞の相手方となった前記一連の行為は、原告に対する不法行為を構成するものというべきであり、かつ、その慰謝料としては一〇〇万円、その弁護士費用としては一〇万円が相当と認められる。

他方、原告の右を超える請求については、前記の事実関係からして、これを相当と認めさせるに足りる証拠がないに帰する。

三  よって、主文のとおり判決する。

(裁判官伊藤剛)

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